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岩国簡易裁判所 昭和35年(ろ)109号 判決

被告人 井原弘行

昭一三・一〇・二三生 自動車運転者

主文

被告人は無罪。

理由

(本件公訴事実)

被告人は自動車運転者であるが、昭和三四年一二月一七日午前九時三〇分頃、小型自動四輪車(山四す三一八五号)を運転し、岩国市内通称新国道(幅員一二メートル余)中央寄りの左側を時速約二五キロメートルで西進中、同市大字室木桜地蔵附近にさしかかつた際、約三〇メートル左前方を自己の進路近くまでひろがつて同一方向に歩いている子供を混えた数名の一団を認め、その右側を追越そうとしたが、当時更にその前方から対向してくる貨物自動車があつたから、かかる場合自動車運転者たる被告人としては、そのまま前進するにおいては、前記貨物自動車と離合する附近で前記歩行者の一団を追越すこととなり、接触等の危険を伴いやすいことを考慮し、警音器を吹鳴して前記歩行者を道路左端に避譲せしめてその安全を確認のうえ追い越すか、または一段と減速して前記の貨物自動車と離合を完了した後前記歩行者の一団と安全な間隔を保つて追い越し、もつて事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、不注意にも安全に追い越しうるものと軽信して、前記の注意義務を怠り、漫然前記速度のまま直進した過失により、前記貨物自動車と離合のため前記歩行者の一団と安全な間隔をとりえず、僅に一メートル位その右側に進出した際、急に前記歩行者の一団の中から右前方に向つて走り出た日野平展子(当時六歳)を認めたときは左前方約三メートルに迫つていたため、適宜の措置をとりえず、自己の運転する前記自動四輪車の左前部を同女に衝突せしめその場に同女をてん倒させ、よつて同女に加療約三週間を要する頭部打撲傷(頭蓋内出血)兼上口唇挫創両手右足右でん部擦過傷等の傷害を与えたものである。

(認定した事実)

一、司法警察員作成の実況見分調書

一、医師玉田太郎作成の診断書

一、証人日野平清一、同日野平太一、同宝井実、同森本ツチヨに対する当裁判所の尋問調書

一、当裁判所の検証調書

一、被告人の当公判廷における供述

一、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書(後記過失についての供述部分を除く)

を総合して判断すると次の事実が認定できる。

一、本件事故現場は、岩国駅方面から西進して西岩国に向う国道二号線(通称新国道)の岩国市大字室木出屋敷八四番地の三江崎石材店の前附近であつて、この道路は幅員一二メートルを有する全面コンクリート舖装の歩車道の区別のない平坦な道路で、右現場の東方三〇メートル余の地点において緩いカーブをえがいて南に曲つているが、現場附近は前後左右の見透しはきわめて良好であり、平素自動車の交通ひんぱんな個所である。また同所は交通制限のない場所であり、本件事故当日の天候は晴天で南の微風が吹き路面は乾燥していた。

二、被害者日野平展子(当時六才)はその伯父にあたる会社員日野平清一(当時四六才)に伴われ、前記道路の左側を右清一を最左端とし中央に当時六才の清一の娘、その右に展子の順にほゞ横に一列にならび互に手をつないで西岩国方面に向つて歩いていたものであつて、展子の歩いていた位置は、道路左端から二・九メートル附近であつた。そして右展子等三名の前方約四メートルのところを道路左側を左から右に右清一の弟、妹、妻、母の順にほゞ横にならび同一方向に向つて歩行し、さらに展子等の後方約二五メートル附近の道路左側を展子の父日野平太一が同じ方向に向つて歩いていたもので、当時四囲の状況から展子が突然道路の中央部にとびだすような気配は認められなかつた。なおこれらの一行はともに遺骨を拾いに行く途中であつた。

三、被告人は自動車の運転者であるが、前示の日時、前示の自動車を運転し、その助手席に運転免許を有する森本ツチヨを同乗せしめ、前記新国道を岩国駅方面から時速約四〇キロメートルの速度で西進していたところ、江崎石材店の東方約三〇メートル附近にさしかゝつた際、前方から一台の貨物自動車が左側通行で進行してくるのを認め、また道路左側を西岩国方面に向つて歩いている子供づれの七、八名の一団を発見したので、時速二五キロメートル位に減速し、道路の中央線よりやゝ左を直進し被害者展子の右側を同女と約一メートルの間隔をおいて通過せんとしたものである。この際被告人は歩行中の子供(展子等)には大人(日野平清一)が附添つており、一番右側の子供(展子)との間に一メートルの間隔を保てば危険はないものと思料し、警音器も鳴らさず、そのまま二五キロメートルの時速で西進をつゞけ、前記対向車とは展子等三名の側方通過の直前において離合したものである。しかるに被告人が右離合の直後展子等の右側約一メートルの位置に達せんとしたとき、展子は意外にも突然道路中央部に向つて斜前方の被告人の運転する自動車の左前三、二メートル附近にとび出した。よつて被告としては、急制動をかけかつハンドルを右に切るべきであるのに、瞬時のことであつたので、そのいとまがなく、自己の運転する自動車の左前部を同女に衝突せしめて同女を路上に転倒せしめ、よつて前示のような傷害を与え、衝突地点から二〇・四メートル直進した後ようやく停車したものである。なお展子が突然被告人の自動車の進路上にとびだしたのは、察するに前記対向車が通過したので、同女の後方から被告人の自動車の進行してくるのを確認することなく、前方を四人づれの最右端に位置して行進中の同女の祖母のもとに行きその右側にいでんとしたものであると認められる。

(過失の有無についての判断)

以上認定の事実にもとづき、右展子の傷害という事実が被告人の過失に基因するかどうかについて、以下これを検討する。

およそ自動車運転者たる者は、進路上に歩行者を発見し、特にその側方通過予想地点において対向車と離合する公算のある場合においては、一般的には公訴事実にかゝげてあるように、「警音器を吹鳴して前記歩行者を道路左端に避譲せしめてその安全を確認」し、または「一段と減速して前記貨物自動車と離合を完了した後前記歩行者の一団と安全な間隔を保つて」その側方を通過すべきことは、当然の義務といわねばならない。しかしながら右歩行者が、突然意表外の行動にでることの何人にも予想せられる児童または児童のみの一団である場合は格別、歩行者が大人または大人が同伴してその直接監視の下にある児童であつて、四囲の状況上自動車の進路上に進出するような気配も予見せられず、かつ道路の幅員も相当広くて障害物もない場合にあつては、たとえ対向車があつてもその対向車が正しい進路を進行しているかぎり、また歩行者と相当な間隔を保つて安全にその側方を通過することができるものと予想されるときは、常に必ずしも警音器を吹鳴して歩行者を道路の一端に避譲せしめ、または対向車と離合するためことさらに減速し、離合完了後歩行者の側方を通過すべき注意義務はないものと解する。ことに自動車が高速度交通機関として普及発達している今日、道路上に歩行者があつたからといつて、その側方を安全に通過できることが予想されるにもかゝわらず、その都度右のような措置にいでなければならないとすれば、自動車の機能は著しく減退することゝなり、法はこのような場合にまで自動車運転者に対して右のような厳重な注意義務を課しているものではない。これを本件について見るに、事故発生の現場は幅員一二メートルの見透しのよい道路で交通制限はなかつたこと、正しい進路を進行してきた対向の貨物自動車のほか道路上に障害物はなかつたこと、被害者展子は大人であるその伯父日野平清一に同人の娘とともに伴われ、互に手をつないで、大人の直接の監視の下に歩行していたものであること、当時の状況上展子が突然自動車の進路上にとびだすような気配は予見できなかつたこと、被告人は展子と一メートルの間隔を保つてその側方を通過せんとしたものであることから判断して、かゝる場合被告人としては、警音器を吹鳴して展子等の一団を道路左端に避譲せしめ、または一段と減速して対向車と離合を完了してから、さらに十分の間隔を保つてその側方を通過しなければならないという注意義務はなく、従つて被告人が展子と一メートルの間隔をおいて、対向車および歩行車の一団を発見した際減速した時速二五キロメートルの速度のまゝで警音器も吹鳴することなく進行をつゞけた点について、過失を認定することはできない。

もつとも被告人の司法警察員に対する供述調書中に「今すこし歩行者の右側と距離をはなしていたらよかつたと思います」との供述記載があり、また同人の検察官に対する供述調書中にも「警音器を鳴らして、その一団の人をもつと左側によせて進むか、あるいは徐行して右トラツクとすれちがつた後、できるだけ道路の右側の進路をとればよかつた」旨の供述記載があるが、これらの各供述記載はいづれも、本件の結果からみた推測であり、ことに後者は検察官の尋問に対する迎合にいでたものとも思はれるので、当裁判所はこれを採用しない。

次に本件衝突の直前、展子が自動車の進路上にとび出した際、被告人が急制動をかけ、かつハンドルを右に切る等の応急措置を講じなかつた点について被告人に過失責任があるかどうかについて判断するに、道路を直進するかに見えた展子が、急に監視者であるその伯父の監視を離脱し、被告人の自動車の前方にとび出したときの被告人と展子との距離は三・二メートルであつたから、このような至近の距離においては、時速二五キロメートル(この速度が本件の場合注意義務違反でないことはさきにのべた)で進行している自動車として、仮に急制動をかけかつハンドルを右に切つたとしても到底衝突は回避できなかつたものと認められる。すなわち本件事故は全く予見することのできない突発的事故というのほかなく、被告人の注意義務違反にもとづくものではないものと判断する。

(結論)

以上に説示のとおり前示日野平展子が被告人の運転する自動車と衝突し前示のような傷害をうけた事故は、被告人の業務上の過失により発生したものであると認むべき証拠がなく、結局犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法第三三六条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 和久田鉄雄)

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